
こんな人とは結婚しないで。
【ADHDと結婚⑤】
元妻は完璧主義だった。
僕の忘れっぽさにうんざりしてた。
僕の計画性のなさに呆れていた。
僕の少しの洗い残しに苛立っていた。
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。 今日から、数回にわたって、ADHDの僕らが、もし幸せな結婚を望むのなら、パートナーとして、選んではいけない「人物像」についてお話したいと思います。これは、ADHD当事者の僕自身が痛みを伴いながらも経験から学んだリアルな教訓です。
まず、ADHD当事者の僕らは自分たちがいかに「不完全」であるかを知っています。 だから、自分にないものを、全て持っているように「見える」人に、惹きつけられてしまうのかもしれません。 計画的で、整理整頓が得意で、そして、常に冷静な人。
その人と一緒になれば、このどうしようもない「欠点」は補われるのではないか。 この予測不能な人生が、ようやく安定するのではないか。 そう期待してしまうのです。そのような思いで、結婚する前の僕は「完璧主義」な元妻に対して惹かれていたのかもしれません。
いや、よくよく考えて見ると、僕の場合は結婚するまで、彼女がそこまで完璧主義だとは認識していませんでした。結婚後に、こんなにも完璧主義だったのかと思い知らせれた形でした。結婚前に、素晴らしく整理整頓されていた彼女の部屋を見て僕が気が付くべきだったのかもしれません。結婚前に、彼女は僕の適当な部屋を見て何んとも思わなかったのでしょうか?その質問には、彼女は人の部屋には何も意見できないからと言っていました。
結婚後、やがて絶望が訪れます。 なぜなら、完璧主義の元妻が、無意識に求めているのはありのままの僕ではないからです。彼女は、僕を「助ける」という名目で、自分の「正しさ」を教え込もうとします。 彼女にとっては、僕は「正しく」導かれるべき、未熟な存在になっていました。ドアの閉め方から、カーテンの閉め方まで、気を付けないといけない事が山のようにありました。
「衝動性」を、「無謀」だと修正しようとする。
「独創性」を、「非現実的だ」と否定しようとする。
「多動性」を、「落ち着きがない」と管理しようとする。
本来はユニークでパワフルなはずだった「才能」の全ては、予測可能な彼女の考える「普通」という名の檻の中に閉じ込められてしまったのです。
あの頃の僕は、まさに、この罠の真っ只中にいました。 元妻の「正しさ」の中で、僕は、いつしか自分自身の「正しさ」が分からなくなっていました。 彼女を怒らせないようにすることだけが、僕の「正解」になっていました。
僕の有り余るほどのエネルギーは、行く場所をなくし、ただ、僕自身の内側でくすぶり続けていました。 その出口のないエネルギーは、やがて、彼女への「苛立ち」「不満」「怒り」へと変わっていったのです。
もし、あなたが、今誰かと共に人生を歩もうとしているのなら。
どうか見極めてください。その人は、あなたの「凸凹」を、修正すべき「欠陥」として、見ていますか?それとも、愛すべき「個性」として、見ていますか?
僕らに、本当に必要なのは、僕らを「完璧」にしてくれる人では、ありません。僕らに、本当に必要なのは、僕らの、その「不完全さ」ごと、面白がり愛してくれる人なのです。
僕らは、誰かの最高傑作になるために生まれてきたのではないのです。とわいえ、自分の思い通りにならないとどうしても嫌な人っていると思います。そして、さらに完璧主義な人です。この二つが合わさるような人との結婚生活は無理があるかなと思います。
【ADHDと結婚】シリーズの最初の記事はこちら
【ADHDと結婚シリーズ】
①結婚できますか?
②なぜ些細なことから喧嘩になる?
③ADHDだから仕方ないじゃないか
④ありがとう。でも、僕は子供じゃない。
⑤こんな人とは結婚しないで
⑥「察してちゃん」という名のサイレントテロリスト
⑦ADHDはどんな人と結婚する?
【ADHD離婚シリーズ】過去の自分と向き合った離婚シリーズはこちら
①一つのことにしか意識を向けられない不器用な真実
②「寄り添ってほしい」と言われた僕が、途方に暮れるしかなかった理由
③僕の「得意なこと」は、なぜ努力として認められなかったのか。
④「それくらい自分で考えて」が、僕には一番難しい呪文だった。
⑤なぜ僕は「名もなき家事」が全く見えなかったのか。
⑥なぜ僕らは、「二人でいる時」が一番孤独だったのか。
⑦妻のイライラから「逃げる」以外の選択肢を、なぜ持てなかったのか。
⑧なぜ僕は、妻からの「パシリありがとう」に喜んでしまったのか。