
僕自身がどのようにADHDの自覚を持つに至ったか
【無自覚ADHD③】
もしあなたがパートナーがADHDを自覚していないことで、深く悩んでいるのなら。「どうすれば、彼に気づいてもらえるんだろう」と、一人途方に暮れているのなら。今日の記事はそんなあなたのために書いた記事です。
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。今日は、僕自身が、いかにして、ADHDの自覚を持つに至ったか。そして、その「気づき」が、いかにして僕の人生を根底から変えたのかについてお話しします。
僕の離婚が、成立したのは2019年の4月30日でした。平成最後の日でした。その半年前から、僕らは離婚調停という出口のない戦いを続けていました。子供と会う頻度をどれぐらいにするのかで争っていました。
あの頃の僕は、本気で信じていました。
離婚の原因は元妻にあるのだと。
しかし、その離婚が成立する、わずか2ヶ月前の、2019年3月4日。 僕が人生で初めてADHDという存在を知るための一つの「出会い」がありました。
それは僕の所属する会社のセミナーに、スタッフとして参加していた時のことです。北海道から参加されていた、一人の女性が、僕に、そっと、声をかけてくれました。後に知ることになるのですが、彼女は、20年以上の経験を持つ心理カウンセラーさんで、彼女自身の旦那さんも、ADHDの当事者でした。
彼女は、穏やかに、僕にこう尋ねたのです。
「デコさんは、これまでに、発達障害と診断されたことはありませんか?」。
発達障害?何のことだろう?全く身に覚えがないけどな。
「無いと思いますが、発達障害ってどんなものですか?」
そんな風に始まった会話だったと思います。
たった一つの「質問」。
それは、僕にとって、人生で初めて自分自身を映し出す「鏡」を手渡された瞬間でした。
僕は、その言葉をきっかけに、初めて「ADHD」という存在を知りました。
そして、知れば、知るほど、その全ての特性が、まるで僕自身のことを書いているかのように思えたのです。
それでもまだ当時は、離婚とADHDについての関連性は理解していませんでした。離婚調停などを通して、元妻への嫌悪感が信じられないほど強く、自分に原因があるとは考えもしていませんでした。
僕に気づきをくれた心理カウンセラーさんは、僕を「断定」するでもなく、「否定」するでもなく、僕に「問い」を渡してくれました。ADHDについて詳しくそこで聞いたわけでもありません。それをきっかけに僕自身が自発的に調べ、病院に行き診断を受けました。それは僕にとっては自分自身を知ることであり、さらに自分自身への好奇心を強く刺激することでした。
「もしかしたら、僕が、長年抱えてきた、この『生きづらさ』には、名前があるのかもしれない」
「そして、その名前を知ることは、僕絶望させるのではなく、むしろ、解放してくれるかもしれない」
そんな前向きな考えになっていきました。
もし、ADHDの自覚がないパートナーにどう接すればいいか悩んでいるのなら。どうか彼を「説得」しようとするのをやめてみてください。彼を「診断」しようとするのも、やめてみてください。
愛情を持って、彼に伝えてみるのはどうでしょうか。
「ねえ、ADHDって知ってる?今日、すごく、面白い記事を見つけたんだ。ADHDの人の話なんだけど、読んでみたらあなたのことだけじゃなくて私の気持ちも代弁してくれているような気がしたの。これとか読んでみてよ?」
彼に「答え」を渡す必要はありません。ただ、彼が、自分自身と向き合うための、最初の「問い」をそっと手渡してあげるだけでいいのです。
その、あなたからの、優しい「パス」が、彼が自分の人生の「攻略本」を手に入れる、最高のきっかけになるかもしれないのですから。
P.S. 無自覚ADHDのパートナーの方へ
もし、この記事を、無自覚ADHDのパートナーであるあなたが読んでくれているのなら。
このシリーズの、最初の記事を、彼にそっと手渡してみてはどうでしょうか。 それは彼を「診断」するためのものではありません。 ただ、過去の僕が、いかにして自分の「正しさ」で、愛する人を傷つけてしまったか、その痛みを伴う「物語」です。
もし、彼がその物語の中に少しでも自分自身の姿を見つけたなら。 それが、二人の新しい対話の「きっかけ」になるかもしれません。
無自覚ADHDシリーズ
①なぜ僕の「正しさ」は、いつも彼女を傷つけたのか
②ADHDだと自覚することは人生の「攻略本」を手にすること
③僕自身がどのようにADHDの自覚を持つに至ったか
④ADHDの方へ人生の「攻略本」をお渡します。
⑤「またADHDが出たよ」と笑っていた僕がそれに向き合うまで