
ADHDだと自覚することは人生の「攻略本」を手にすること
【無自覚ADHD②】
もし、前回の記事を読んで、少しでも、心がざわついたとしたら。 それは、あなたの人生が、これから劇的に好転していく最高のサインかもしれません。
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。 今日は、ADHDであることに無自覚な人が「ADHD」という言葉をなぜ恐れてしまうのか。 そして、その「自覚」の先に、どんな「希望」が待っているのかについてお話しします。
なぜ、僕らはADHDであると「自覚」することを恐れるのか
ADHDだと認めること。 それはまるで「自分は、欠陥品だ」という、烙印を押されるような気がする。 僕らは無意識にそう恐れているのかもしれません。まわりのみんなと同じでは無いことへの恐怖。また自分が何か直さないといけないという憂鬱。
これまでの人生で、もううんざりするほど味わってきた敗北感。
これ以上、自分の「ダメな部分」を見たくない。
これ以上、傷つきたくない。
その、健気な自己防御本能が、僕らを真実から遠ざけてしまうのです。 しかし、その防御本能こそが、実は、あなたとあなたの最も大切な人を、出口のない沼へと引きずり込んでいるのかもしれません。
自分の正体を知ることを恐れるあまり。 同じ失敗を繰り返す。 そして、そのたびに隣にいる一番大切な人を、無自覚に傷つけ続ける。 あなたは悪くないかもしれない。
でも、その「無自覚」が、二人の関係を、ゆっくりと、しかし、確実に壊していくのだとしたならば、それを自覚することの重要性を考えてみるチャンスかもしれません。
ADHDについて知ることは、決して「敗北」ではありませんし、恐怖の対象ではありません。 それはまるで、これまで説明書のない超高性能な「スポーツカー」を、必死に運転しようとしてきた僕らが、初めて、その「取扱説明書」と「詳細な地図」を、同時に手に入れるようなものなのです。
その「攻略本」を手にした瞬間、これまで、モノクロに見えていた世界が鮮やかな色を取り戻し始めます。
なぜ、いつも鍵を失くしてしまうのか。 それは、あなたが「だらしない」からではなかったのです。 あなたの脳の「机(ワーキングメモリ)」が、少しだけ小さいだけだったのだと認識できます。
なぜ、一つのことが続かないのか。 それは、あなたが「飽きっぽい」からではなかったのです。 あなたの脳が好奇心が強く、誰よりも多くの「新しい冒険」を求めているのだと認識できます。
そんな風に、過去の自分中にあった多くの「謎」が解け、「自分を責める」という不毛な戦いが終わるのです。 それは、何にも代えがたい解放です。
そして、自分の「弱み」だと思っていたものが、実は、最強の「強み」であったことに気づきます。 自分の才能を、人生の本当の「力」に変えることができるのです。
この記事は、決して、過去の自分を、責めるためのものではありません。 ADHDの自覚が無かった僕は、僕なりに、真摯に向き合おうとしていました。僕はそれを誰よりも知っています。
ただ、知らなかった。 自分の脳の「仕様」を。
そしてその「攻略本」の在り処を。
ADHDの方にとって、ADHDについて学ぶことは、自分を理解することに大きく役立ちます。 共に学び、より良い人生をつかみ取りましょう。
P.S. 無自覚ADHDのパートナーの方へ
もし、この記事を、無自覚ADHDのパートナーであるあなたが読んでくれているのなら。
このシリーズの、最初の記事を、彼にそっと手渡してみてはどうでしょうか。 それは彼を「診断」するためのものではありません。 ただ、過去の僕が、いかにして自分の「正しさ」で、愛する人を傷つけてしまったか、その痛みを伴う「物語」です。
もし、彼がその物語の中に少しでも自分自身の姿を見つけたなら。 それが、二人の新しい対話の「きっかけ」になるかもしれません。
無自覚ADHDシリーズ
①なぜ僕の「正しさ」は、いつも彼女を傷つけたのか
②ADHDだと自覚することは人生の「攻略本」を手にすること
③僕自身がどのようにADHDの自覚を持つに至ったか
④ADHDの方へ人生の「攻略本」をお渡します。
⑤「またADHDが出たよ」と笑っていた僕がそれに向き合うまで