
妻のイライラから「逃げる」以外の選択肢を、なぜ僕は持てなかったのか。【ADHD離婚⑦】
「ただいま」
1DKのアパートのドアを開けるのが、怖かった。
この小さな城に、僕の安らげる場所はもうないと知っていたから。
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。
これは、僕の後悔の記録であり、今まさに同じ悩みを抱えているかもしれない、あなたへの手紙です。今回のテーマは、パートナーの「負の感情」に直面した時、僕が「逃げる」以外の選択肢を持てなかった、その理由と、今の僕なら、あの頃の自分に何を伝えるか、という問いについてです。
子どもが寝静まった後、始まる息詰まる時間
慣れない子育てや産後の影響で、当時の妻、ミキちゃん(仮)は、いつもイライラしていました。家の中は、常にピリピリとした緊張感に包まれていました。
まだ子どもが起きている時間は、救いでした。
子どもの世話をしたり、一緒に遊んだり…そこには「やるべきこと」と「純粋な楽しさ」がありました。僕の意識は、愛する子どもに集中することで、家の重い空気から守られていたのです。
しかし、子どもが寝室で寝静まり、夫婦二人きりになった瞬間から、あの息詰まる時間は始まりました。
フリーズする脳と、ベランダという名の避難所
無言の空間が、僕には耐えられませんでした。強いストレスや他人の負の感情に晒されると、僕の脳は思考を停止してしまいました。
ミキちゃんのイライラをどうにかしたかった。助けになりたかった。
でも、何を話せばいいか分からず、言葉を発すれば彼女の機嫌をさらに損ねてしまうかもしれない。そんな恐怖が、僕の体をソファに縫い付けました。
この反応は、心理学で「闘争・逃走・凍結反応(Fight-Flight-Freeze Response)」と呼ばれています。危険を前にした動物が、「闘う」か「逃げる」か、あるいは「固まって死んだふりをする」かで身を守ろうとする、原始的な防衛本能です。「凍結(フリーズ)」という反応を過剰に起こしてしまっていたのです。
コミュニケーションを諦め、フリーズした僕は、自分の世界に閉じこもるしかありませんでした。スマホの画面に没頭する。マンガの世界に意識を飛ばす。それでも息苦しくなると、僕は「安全な場所」へ「逃走(フライト)」しました。
子どもが眠る寝室には入れない。僕に残されたのは、風呂の時間と、トイレ、そして、アパートの小さなベランダだけでした。冷たい夜風にあたりながら、ただタバコをふかし、時間が過ぎるのを待つ。それが、僕にできる唯一の自己防衛だったのです。
カウンセリングと、変わらない日常
自分の力だけでは、この状況はどうしようもない。
そう感じていた僕は、知り合いを通じて、夫婦でカウンセリングを受けることにしました。
ある時、ミキちゃんはカウンセラーの前で泣きながらこう言いました。
「私が悪いんです。彼を責め過ぎている…」
その言葉に、僕は少しだけ救われたような気がしました。僕の苦しみを、彼女もわかってはいたのだと。
しかし、現実は残酷でした。
カウンセリングで後悔の涙を流した翌日には、彼女の僕を責める態度は元通りになっている。その繰り返しでした。
彼女もまた、自分ではコントロールできない感情の波の中で、もがき苦しんでいたのです。お互いが苦しんでいました。「分かってあげたいのに、できない」。僕らは二人とも、出口のないトンネルの中で、ただ疲れ果てていきました。
今の僕が、あの頃の僕に伝えたいこと
そして、僕はついに、家そのものから「逃げる」ことを選びました。夜のバーの喧騒が、僕の唯一の避難場所になっていったのです。
ミキちゃんの目には、そんな僕がさぞ「家族を顧みない、無責任な夫」に映っていたことでしょう。その気持ちは、痛いほどわかります。
ADHDを深く理解した今の僕なら、あの破壊的な逃避行動をとらずにいられただろうか?そして、逃げずにいるためには、どうすればよかったのだろうか?
もし、今の僕が、時を超えて、あの頃の無力だった自分に語りかけることができるなら。
僕は、こう言うでしょう。
「おい、お前。ミキちゃんと喧嘩して、ムカついて、すぐにバーに逃げてるよな。よく考えろ。その行動が、状況をさらに悪化させることなんて、誰が見ても分かるだろ。それも一度や二度じゃない。そんなことを繰り返していたら、離婚になるのも当たり前だ。
なぜ、そんな行動を取ってしまうのか、教えてやろう。
お前は、ADHDなんだよ。
ストレスがかかると、後先考えずにその時の感情だけで動いてしまう。その『衝動性』は、まさにADHDの特徴だ。そして、ADHDの脳は、『実行機能』と呼ばれる、問題を解決したりする力が少し弱い。だから、ミキちゃんがイライラしているような、複雑で『正解のない問題』に直面すると、脳がフリーズしてしまう。その思考停止状態は、お前にとって耐え難いほど苦しい。だから、脳は一刻も早く脱しようとして、『より強い刺激』を求めてしまうんだ。それが、お前がスマホに没頭したり、お酒に頼ったりする本当の理由だ。決して、ミキちゃんを無視したいわけじゃない。これは、お前がお前自身を守るための、無意識の逃避行動なんだ。もちろん、特性だからといって、ミキちゃんを傷つけていい理由にはならない。だから、これからの自分がどうすべきか、よく聞け。まず、お前自身の力で、この特性をコントロールする努力を始めろ。
そして、ミキちゃんが穏やかな時に、勇気を出して、今俺が話したことを、お前の言葉で伝えるんだ。自分が何に苦しんでいて、なぜそんな行動を取ってしまうのか、その仕組みを誠実に説明しろ。その上で、こう付け加えるんだ。
『僕は、ADHDの特性を持った自分を、これからもっと深く理解するために、学び続けるつもりだ。そして、学んだことを、君に伝えたい。君は、それを知りたいと思うか?』と。
この、まず自分が主体的に学び、行動を変えるという『覚悟』と、相手に判断を委ねる『敬意』。
その両方を示すことこそが、お前に本当に必要だった、唯一のコミュニケーションだったんだ」と。
過去の自分がこれを聞いてたらきっとこういうと思います。
「言っていることはわかったけど、彼女のそれを言うのは無理があるかな。言い訳を考えてきたとしか思われないと思うのと、あとその上から目線をやめてくれる?」
ADHDについての学びを得えた今も、行くところまで行ってしまった悪い関係を修復できるイメージは持てないのが正直なところですね。そうなる前に対策していくのが大事なんだろうなと思います。さらに学びを深めたいなと思います。
【ADHD離婚シリーズ】
①一つのことにしか意識を向けられない不器用な真実
②「寄り添ってほしい」と言われた僕が、途方に暮れるしかなかった理由
③僕の「得意なこと」は、なぜ努力として認められなかったのか。
④「それくらい自分で考えて」が、僕には一番難しい呪文だった。
⑤なぜ僕は「名もなき家事」が全く見えなかったのか。
⑥なぜ僕らは、「二人でいる時」が一番孤独だったのか。
⑦妻のイライラから「逃げる」以外の選択肢を、なぜ持てなかったのか。
⑧なぜ僕は、妻からの「パシリありがとう」に喜んでしまったのか。