
なぜ僕らは、「二人でいる時」が一番孤独だったのか
【ADHD離婚⑥】
リビングのソファ。
隣には、かつて愛したはずの妻がいる。テレビの音が、空虚な部屋に響いている。それなのに、僕の心は、まるで無人島に一人でいるかのように、静まりかえり、孤独だった。
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。
これは、僕の後悔の記録であり、今まさに同じ悩みを抱えているかもしれない、あなたへの手紙です。シリーズ第六弾のテーマは、僕らの関係を静かに蝕んでいった、「二人きりの時間」に感じる、あの耐えがたい孤独の正体についてです。
新しい「刺激」を渇望する僕と、「安らぎ」を求める彼女
ADHDの特性を持つ人の脳は、常に「新しい刺激」を渇望しています。
面白い会話、新しい知識、知らない場所、初対面の人々…。そういった外部からの刺激こそが、脳を活性化させ、生きている実感を与えてくれる、何よりのエネルギー源なのです。あの頃の僕は、仕事が終わった後や、週末になると、外の世界へ出かけたくてたまらなかった。友人との飲み会、バーでのさまざまな人との出会い、そこで他愛ない話をしたりすることで、僕は活力を得ていました。
結婚後も友人を家に招いたり、家族で出かけることなど刺激を求める自分がいました。でも、妻のミキちゃん(仮)は、違いました。慣れない子育てや、日々の家事に追われる彼女にとって、必要だったのは、刺激ではなく「安らぎ」でした。静かな家で、誰にも邪魔されず、心穏やかに過ごすこと。それが、彼女にとっての何よりの休息だったのです。この「求めるものが、根本的に違う」という事実に、当時の僕は気づいていませんでした。僕が良かれと思って「どこか出かけようか?」と誘うたびに、彼女は疲れ果てた顔で首を横に振る。「ミキちゃんの友達と遊んで来たら?」とすすめてみても、彼女は出かけようとしませんでした。
僕らは、お互いを思いやっているつもりで、その実、お互いの価値観を否定し合っていたのかもしれません。
バーに逃げ込んだ僕が、本当に求めていたもの
以前の記事で、僕は「妻のイライラが怖くて、バーに逃げた」と書きました。それは、もちろん事実です。しかし、今振り返れば、理由はそれだけではありませんでした。僕がバーの喧騒の中に求めていたのは、アルコールだけではなかった。僕は、僕の脳が渇望する「刺激」と「コミュニケーション」に飢えていたのです。家の中では、楽しい話をしようとしてもイライラした彼女の心を逆撫でするだけでした。
僕が必要とする「新しい刺激」を得る方法を、僕は家庭の外に求めるしかありませんでした。しかし、その行動は、家で一人戦う彼女を、さらに深い孤独へと突き落としました。
僕が外で刺激を求めれば求めるほど、家の彼女の「安らぎ」は、ますます遠のいていく。
もし、お互いの「特性」を知っていたなら
僕らは、二人でいる時が、一番孤独でした。なぜなら、お互いが「自分の求めるもの」こそが正しいと信じ、相手にもそれを無意識に強要していたからです。「なんで分かってくれないの?」その言葉は、僕も、そしてきっと彼女も、心の中で何度も叫んでいたはずです。もし、ADHDという自分の脳の特性を理解した今の僕が、あの頃に戻れるなら。
僕は、ただ自分の欲求をぶつけるのではなく、まず二人の「特性の違い」を、冷静に言葉にするでしょう。
「正直に言って、僕は『家で静かに過ごすこと』だけでは、心のエネルギーが枯渇してしまうみたいなんだ。そして、ミキちゃんは、外の刺激ではなく、『家での安らぎ』を何よりも必要としている。どちらが正しくて、どちらが間違っているわけじゃない。ただ、僕らの『心地よいと感じる状態』が、根本的に違うだけなんだ。だから、お互いが自分の価値観を、相手に押し付けるのはやめよう。その代わり、お互いの『特性』を尊重し合えないだろうか。」と。
現在の僕が見つけた、新しい「刺激」と「安らぎ」
もちろん、この提案だけで全てが解決したとは思いません。
しかし、お互いの違いを認め、尊重し合うという、その第一歩が何よりも重要だったのだと、今なら分かります。
あの日、お酒とタバコに逃げるしかなかった僕も、それらをきっぱりとやめてから4年ほどが過ぎました。あの頃、何とかして行きたかったバーに行くことも、もうありません。
今の僕は、また新しい「刺激」と「安らぎ」を見つけました。それは、ヨガで自分の内面と向き合う静かな刺激だったり、山に登って自然の雄大さに触れる刺激です。お風呂やサウナで、心身をととのえる穏やかな刺激です。
「刺激」は、必ずしも喧騒の中にあるわけではなかった。
「安らぎ」は、必ずしも退屈なものではなかった。
この事実に気づくのに、僕はあまりにも長い時間を要してしまいました。
もし、あなたが今、パートナーとの「価値観の違い」に苦しんでいるのなら。どうか、思い出してください。
相手を変えようとするのではなく、まず自分の「特性」を理解する。そして、お互いの「違い」を認め合った上で、二人だけの心地よいバランスを見つけていく。
その先にこそ、本当の意味での「安らぎ」と「幸せ」があるのだと、僕は信じています。
【ADHD離婚シリーズ】
①一つのことにしか意識を向けられない不器用な真実
②「寄り添ってほしい」と言われた僕が、途方に暮れるしかなかった理由
③僕の「得意なこと」は、なぜ努力として認められなかったのか。
④「それくらい自分で考えて」が、僕には一番難しい呪文だった。
⑤なぜ僕は「名もなき家事」が全く見えなかったのか。
⑥なぜ僕らは、「二人でいる時」が一番孤独だったのか。
⑦妻のイライラから「逃げる」以外の選択肢を、なぜ持てなかったのか。
⑧なぜ僕は、妻からの「パシリありがとう」に喜んでしまったのか。