凸凹ADHD

 

僕の「得意なこと」は、
なぜ努力として認められなかったのか
【ADHD離婚③】

 

「普通はこうでしょ?」
「常識ないの?」

子どもの頃から、僕はこの「普通」や「常識」という言葉の刃に、何度も心を切り刻まれてきました。

はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。
これは、僕の後悔の記録であり、今まさに同じ悩みを抱えているかもしれない、あなたへの手紙です。シリーズ第三弾のテーマは、パートナーとの間で起きていた、「当たり前」という名の、見えない努力のすれ違いについてです。

得意だった夕食作りと、一つの洗い残し

当時の僕は、仕事から帰ると、毎日キッチンに立っていました。
「和食がいい」という妻、ミキちゃん(仮)のために、彼女の好きな和食のメニューを作る。もともと料理が好きで得意だった僕にとって、それはADHDの「過集中」を発動させられる、比較的スムーズにこなせる作業でした。レシピを見なくても、感覚で美味しいものが作れたし、味について文句を言われたことはありませんでした。

食事が終われば、洗い物も全て僕が担当していました。
自分なりに、本当に頑張っていたつもりです。

ある日のことでした。
僕が洗い終え、水切りカゴに並べたお皿たちの中に、ミキちゃんは一つの小さな洗い残しを見つけました。

そして、冷たくこう言い放ったのです。
「これが一つあるってことは、全部が無意味なんだよ。どうせ、いつも全部適当に洗ってるんでしょ」

僕は、言葉を失いました。
僕が毎日、彼女のために費やしてきた時間と、自分なりの工夫。その全てが、たった一つの洗い残しによって、無に帰された瞬間でした。

「なんて、ひどい人なんだろう」
そう思うと同時に、どうしようもない無力感が、僕の全身を支配しました。

罪悪感を埋めるための、無給の労働

彼女にとって、僕がやっていた料理は「好きなことをしているだけ」に見えていたのかもしれません。「やって当たり前」のこと。だから、評価する必要はない。むしろ、完璧にできていない点は、マイナス評価に値する、と。

しかし、僕の内心は、もっと複雑でした。

ADHDの特性を持つ僕らは、自分が日々の生活の中で、多くの「当たり前」をこぼれ落としていることを、誰よりも自覚しています。約束を忘れたり、話を聞き逃したり…そのたびに、パートナーをがっかりさせているという罪悪感が、心の奥底に澱のように溜まっていく。

だからこそ、僕らは、自分が「できること」「得意なこと」で、その埋め合わせをしようと必死になることがあります。優しくあろうとしたり、相手のために過剰に尽くしたりする。

僕にとって、毎日の料理は「好きなこと」であると同時に、日々の失敗を少しでも挽回したいという、罪悪感からくる「努力」であり、「償い」でもあったのです。それなのに、「好きなことだから」という一言で、その背景にある複雑な想いごと、全く評価されない。僕は、その理不尽さに、ずっと苦しんでいました。

ペンギンは、空を飛ぶ努力をしてはいけない

今振り返って、あの頃の一番の後悔は何かと問われれば、それは「完璧にできない自分が、完璧になろうと努力してしまったこと」です。

完璧を求めるミキちゃんに対して、僕も「完璧な夫」になれたなら、彼女は満足してくれるのではないか。そう信じていました。
苦手なことの失敗を、得意なことで過剰に埋め合わせようと、必死にもがいていました。

でも、今なら分かります。
それは、ペンギンが空を飛ぼうと、必死に崖から飛び降りているような、滑稽で、悲しい努力だったのです。

もし、ADHDという自分の脳の特性を理解した今の僕が、あの頃に戻れるなら。僕はもう、そんな無駄な努力はしません。
洗い残しを責められた日、僕は彼女に向き合い、こう伝えるでしょう。

「ミキちゃん、ごめん。そして、聞いてほしい。
僕は、どうやらお皿の隅々まで完璧にチェックするような、細かい作業が、致命的に苦手みたいなんだ。これは、僕の性格や、ミキちゃんへの愛情の問題じゃない。僕の脳の、生まれ持った特性なんだ。

だから、僕が洗い物を完璧にこなすことを、どうか期待しないでほしい。
それは、ペンギンに『空を飛べ』と言うのと同じくらい、僕にとっては難しいことなんだ。

その代わり、僕はペンギンだからこそ、誰よりも速く、そして上手に泳ぐことができる。僕の『得意なこと』…例えば、美味しい料理を作ること、面白い企画を考えること、必要なものや情報をすぐに集める行動力。そういった部分で、僕はミキちゃんの力になりたい。

だから、僕の苦手なことは、どうかカバーしてくれないだろうか。その代わり、僕の得意なことで、ミキちゃんを全力で助けさせてほしい。

そうやって、お互いの『凸凹』を認め合い、補い合う、本当の『チーム』になれないだろうか」と。

この一言が、あの頃の僕に言えたなら。僕らは、お互いを「怠慢な人」「完璧を求める人」と断罪するのではなく、ただ「違う特性を持つパートナー」として、もう一度笑い合えたのかもしれません。

【ADHD離婚シリーズ】
①一つのことにしか意識を向けられない不器用な真実
②「寄り添ってほしい」と言われた僕が、途方に暮れるしかなかった理由
③僕の「得意なこと」は、なぜ努力として認められなかったのか。
④「それくらい自分で考えて」が、僕には一番難しい呪文だった。
⑤なぜ僕は「名もなき家事」が全く見えなかったのか。
⑥なぜ僕らは、「二人でいる時」が一番孤独だったのか。
⑦妻のイライラから「逃げる」以外の選択肢を、なぜ持てなかったのか。
⑧なぜ僕は、妻からの「パシリありがとう」に喜んでしまったのか。

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