凸凹ADHD

 

「それくらい自分で考えて」が、
僕には一番難しい呪文だった【ADHD離婚④】

 

「行きたかったら行けば?」

当時、僕が「バーに行ってきてもいい?」と尋ねた時、妻のミキちゃん(仮)は、そう吐き捨てるように言いました。

その冷たい声色と、突き刺さるような視線に、嫌な予感はしていました。「行っても良い」というのが、彼女の本心ではないことくらい、さすがの僕にも分かりました。

でも、僕は行ってしまったのです。
なぜなら、あの息の詰まる家に、もう一秒だっていたくなかったから。

僕は、彼女の心の叫びから耳を塞ぎ、自分の逃避を優先してしまいました。そして、その行動が、僕らの関係をさらに悪い方へ、悪い方へと転がしていくことになるのを、当時の僕はまだ知る由もありませんでした。

はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。
これは、僕の後悔の記録であり、今まさに同じ悩みを抱えているかもしれない、あなたへの手紙です。シリーズ第四弾のテーマは、僕らを絶望的にすれ違わせた、「言葉」の壁についてです。

言葉の「裏」が読めない僕と、「裏」で話す彼女

僕にとって、言葉は「情報」でした。
しかし、ミキちゃんにとって、言葉は「感情」を運ぶ器だったのかもしれません。

彼女の「行きたかったら行けば?」という言葉の裏には、「本当は行ってほしくない」「私の気持ちを察して、そばにいてほしい」という、悲痛な心の叫びが隠されていたのでしょう。

ADHDの特性を持つ僕の脳は、その言葉の裏にある感情のニュアンスを、正確に読み取ることが極端に苦手です。僕が受け取ったのは、「行っても良い」という文字通りの許可と、「何か分からないが、彼女が不機嫌である」という断片的な情報だけでした。

このすれ違いは、日常のあらゆる場面で起きていました。

「わたしのことをわかってくれない」と嘆く彼女に、僕は「具体的にどうすればいいか教えてほしい」と尋ねる。
すると彼女は、「それくらい自分で考えて」と突き放す。

僕にとって、それは「解読不能な呪文」を唱えられているのと同じでした。
「寄り添いたい」という気持ちはあるのに、具体的な「行動」に変換する方法が分からない。何をすれば彼女が喜ぶのか、その「正解」がどこにも書かれていない。僕は、ただ途方に暮れるしかありませんでした。

ルールを作る彼女と、ルールを守れない僕

コミュニケーションがうまくいかない僕らに、ミキちゃんはたくさんの「ルール」を作りました。家事の分担、子育ての方針、お金の使い方…。
彼女は、ルールという明確な「正解」があれば、僕も動けるだろうと考えたのかもしれません。

しかし、ADHDの特性は、ここでも僕の足を引っ張りました。
注意が散漫で、新しい刺激に弱い僕は、決められたルールをすぐに忘れてしまう。あるいは、自分なりのやり方でアレンジしてしまい、結果的にルールを破ったと見なされる。

「ルールを作る彼女」と、「どうしてもルールを守れない僕」という構図は、僕らを支配者と罪人のように、不健全な関係へと追い込んでいきました。

届かなかった「僕のトリセツ」

そして、僕は何度も謝りました。
ルールを破るたびに、彼女を怒らせるたびに、「ごめん」と。
しかし、僕の「ごめん」は、彼女の心に全く響きませんでした。

推測するに、僕の「ごめん」は、その場を取り繕うための中身のない言葉に聞こえていたのでしょう。なぜなら、当時の僕は、「なぜ彼女が怒っているのか」という感情の核心を、本当の意味で理解できていなかったからです。

僕は、「ルールを破った(事実)」から謝っていた。
でも彼女は、「私の気持ちを蔑ろにされた(感情)」から、怒っていた。
この根本的なズレに気づけないまま繰り返される「ごめん」が、いかに空虚に響いていたか。想像するだけで、胸が苦しくなります。

そして、僕はこうも伝えようとしました。
「『察して』という難しい宿題を出す代わりに、『私は今、こう感じている』と、あなたの気持ちを“言葉”として、具体的に教えてくれないだろうか」と。

ADHDという認識こそありませんでしたが、僕は僕なりに、自分の不器用さを理解し、対話の道を必死に探していました。具体的な言葉で示してくれなければ、僕には理解できないのだ、と。

しかし、その願いも、彼女には届きませんでした。
彼女自身も、自分の渦巻く感情を、うまく言葉にできるタイプの人ではなかったのかもしれません。あるいは、疲れ果てた心は、もはや僕と対話する気力すら失っていたのかもしれません。

僕が差し出した「僕の取扱説明書」は、彼女に受け取ってもらえないまま、虚しく床に落ちていました。

すれ違いの先にあるもの

今になって思えば、あの頃の僕らは、お互いに「ないものねだり」をしていたのかもしれません。

僕は、ミキちゃんに「感情の言語化」という、彼女が持っていない能力を求めた。ミキちゃんは、僕に「感情の察知」という、僕が持っていない能力を求めた。

どちらが悪いわけでもない。
ただ、お互いの「できないこと」を、必死に要求し合い、そして叶えられないことにお互いが傷つき、疲れ果ててしまった。それだけだったのかもしれません。

ADHDの特性を知った今なら、僕はこのすれ違いにもっとうまく対処できたのでしょうか。正直に言って、分かりません。

ただ、一つだけ言えることがあります。
もし、あなたが今、パートナーとの「言葉の壁」に悩んでいるのなら。
どうか、相手を責める前に、そして自分を責める前に、一度立ち止まってみてください。

そのすれ違いは、「愛情」の問題ではなく、お互いが持っていない能力を、知らず知らずのうちに求め合っている結果なのかもしれない、と。

その事実に気づくこと。
それが、不毛な争いを終わらせ、新しい関係性を築くための、ほんの小さな、しかし最も重要な一歩になるのかもしれません。

【ADHD離婚シリーズ】
①一つのことにしか意識を向けられない不器用な真実
②「寄り添ってほしい」と言われた僕が、途方に暮れるしかなかった理由
③僕の「得意なこと」は、なぜ努力として認められなかったのか。
④「それくらい自分で考えて」が、僕には一番難しい呪文だった。
⑤なぜ僕は「名もなき家事」が全く見えなかったのか。
⑥なぜ僕らは、「二人でいる時」が一番孤独だったのか。
⑦妻のイライラから「逃げる」以外の選択肢を、なぜ持てなかったのか。
⑧なぜ僕は、妻からの「パシリありがとう」に喜んでしまったのか。

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