
衝動性はただの欠点なのでしょうか?
【もしかして、ADHD②】
「あ、これ面白そう!」
そう思った、次の瞬間。
僕らは、もう走り出している。
周りの人が、まだ地図を広げ、リスクを計算している間に。僕らは、もう、未知の荒野へと、最初の一歩を、踏み出してしまっている。 そして、その道の途中で誰も歩いたことのない、新しい道を切り拓いていく。 道なき道を進むからこそ、他の誰にも見つけられなかった「宝物」を発見する。 その、後先を考えずに突っ走ってしまう力。 それは、世界を前に進める「才能」です。
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。 今日は、ADHDの僕らを、時に無謀な挑戦へと駆り立てる、あの「衝動性」の正体。 そして、そのエネルギーが、いかにして世界を前に進める「才能」へと変わるのかについてお話しします。
ADHD当事者の僕らは、これまでの人生で、何度も、言われてきました。
「もっと、計画的に行動しなさい」
「あなたは、無鉄砲すぎる」と。
そして、僕ら自身もそう感じてきました。 相手の気持ちを、深く考える前に、思ったことを、そのまま、口にしてしまったり。 そのたびに、僕らは、大切なものを失い、自分自身を責めたりもしました。
しかし、その一方で。 こんな経験は、ありませんか?誰もが、沈黙し、停滞してしまった場で。 あなたの、その空気を読まない一言が、議論を、全く新しい方向へと動かしたことは?
誰もが、失敗を恐れて、躊躇している、新しいプロジェクトの前で。 あなたの、「とりあえず、やってみようよ!」という、根拠のない一言が、チーム全体に、勇気を与えたことは?
その、考えるよりも先に、動いてしまう力。 それは、本当に、ただの「欠点」なのでしょうか。
思い起こせば離婚に繋がる結婚をしたときは衝動的でした。相手のことを深く理解しないままに一年も経たずして結婚してしまったこと。思い返しても、あれは自分の衝動性が欠点として現れたと思います。だけれども、海外留学をするときも。起業をするときも。強い衝動によって、無計画ながらにスタートしたことばかりでした。それは今思い返しても、その時の衝動性のお蔭で今の自分があると思います。結局は結果論であり、衝動的であるということ自体は欠点にもなりうるし、長所にもなりうるという事なのです。
この人よりも衝動的に行動してしまう謎を解く鍵は、僕らの脳が持つ、「ブレーキ」と「アクセル」の仕組みにあります。
僕らの脳は、「面白そう!」「これは、やるべきだ!」と感じた時、ドーパミンという強力な「アクセル」を踏み込みます。ドーパミンが出ることなのでやりたいという意欲が強くわきます。 しかし、その行動を、「いや、待てよ。リスクはないか?」と、冷静に抑制するための「ブレーキ(前頭前野の働き)」が普通の人と比べて緩いのです。
多くの人の脳が、安全運転を第一に考える、燃費も良く、運転しやすい「ファミリーカー」だとすれば。 僕らの脳は、ブレーキが緩く、アクセスはすぐにフルスロットル、コントロールが難しい「じゃじゃ馬」タイプの車なのです。ADHDの人は、リスクを計算できないというよりも、 リスクを計算するよりも先に、その先にある「最高の未来」に脳が興奮してしまうのです。
もし、この話に少しでも心当たりがあるのなら。 その、「衝動性」は、ただの「欠点」ではないということをお伝えしたいです。 それは、停滞した世界に、新しい「変化」を生み出すための、かけがえのない「才能」なのです。
アクセスがフルスロットルで、ブレーキが緩いのであれば、事故しやすいのも当然です。でも、コントロールの仕方をマスターさえすれば、素晴らしい結果が付いてくることもまた間違いなしなのです。
ADHDを学び、自分自信を理解し、自分自信のコントロールの仕方をマスターしていきましょう。
【もしかして、ADHD】シリーズの最初の記事はこちら
【もしかして、ADHD】シリーズ
①何かに没頭してしまうことって無い?
②衝動性はただの欠点なのでしょうか?
③A→B→C→Dと進められなくない?
④めっちゃポジティブだねとか言われない?
⑤決まりきったルールが我慢ならなくない?
⑥デリカシーがないって言われない?
⑦多動はただの欠点なのでしょうか?
ADHDの学びをさらに深めるための記事がこちらです。
【凸凹ADHD】シリーズ
①あなたの「弱み」は、裏返せば「武器」になる。
②「先延ばし癖」という絶望が、最強の「集中力」に変わる瞬間
③なぜ僕らは「人の痛み」に、誰より敏感なのか
④「退屈な時間」に、1秒も耐えられない理由
⑤「時間」にルーズなのは、脳が「未来」を旅しているからかもしれない
⑥「三日坊主」という絶望が、「リーダーシップ」に変わる日
⑦なぜ僕らは「グループ会話」が苦手で、「1対1」が得意なのか
⑧なぜ僕らの部屋は片付かず、頭の中は新しいことで溢れているのか
⑨なぜ僕らは、絶望の数だけ「最強」になれるのか