
なぜ「断られたらどうしよう」と、ADHDの人は考えないのか?【伝える技術③】
パーティーの隅で、一人、グラスを眺めている。 気になるあの人に、話しかけたい。 でも、その、たった数メートルの距離が、果てしなく遠い。
「何を話せばいいんだろう」
「もし、断られたら、どうしよう」
「変な人だと、思われたら、最悪だ」
頭の中で、無数の「失敗のシミュレーション」が高速で再生される。 そして、足はまるで床に根が生えたように動なくなってしまう。。。
多くの人が、この、見えない「壁」の前で、立ち尽くします。
しかし、僕らADHDを持つ者は、時にこの壁の存在に気づきすらしません。 これはいったいなぜなのでしょうか?
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。 今日は、僕自身が、つい最近、自分の「強み」について、はっきりと自覚した、ある驚くべき「脳の仕組み」について、お話しします。
僕は昔から、何となく、自分が「初対面の出会いが得意だ」と感じていました。人に話しかけることに対して、他の人よりも、気兼ねなくできるなとか。変わったタイプの人と出会っても楽しく話せるなとか感じていました。 しかし、それがなぜなのか、その理由を、深く考えたことはありませんでした。
その謎を解く鍵は、多くの人の脳に搭載された、非常に高性能な「警報装置」にありました。一般的な人の脳には、「社会的拒絶」という名の「痛み」を、事前に回避するための、警報装置が、搭載されているのです。
これは、僕らの祖先が、まだ小さな集団(ムラ)で生きていた、遥か昔の記憶に由来します。 その時代、「ムラから、仲間外れにされること」は、「死」を意味しました。 だから、僕らの脳は、今でも、本能的に、「拒絶されること=命の危険」として、強く、恐れるようにできているらしいのです。
「変な人だと思われたら、どうしよう」という不安は、決して、彼らが臆病だからというわけではなく、それは、「仲間外れになりたくない」という、人間の、最も根源的で、切実な「生存本能」なのです。
しかし、ADHDである僕らの脳は、少しだけ、その点の仕様が違います。 僕らの脳は、「社会的リスク」を計算するよりも先に、「面白そう!」という、宝の匂いを嗅ぎつける、非常に高性能な「お宝探知機」を搭載しているらしいのです。
ADHDの僕らの脳を動かす、最も強力なガソリンは、「ドーパミン」です。 そして、そのドーパミンは、「新しい刺激」や「予測不能なワクワク」に対して、大量に放出されます。
だから、僕らの脳はこう計算するのです。 「もし、断られたら、少しだけ、気まずいかもしれない。でも、もし、この出会いが、人生を変えるほどの、最高の『冒険』の始まりになったとしたら?その、計り知れない『ワクワク』に比べれば、少しばかりの『気まずさ』など、取るに足らないリスクじゃないか?」と。
僕らの脳は、「失敗の可能性」よりも、「成功した時の、最高の報酬」に、強く、ピントが合ってしまうのです。 まさに、「どう思われるか」よりも、「どうすれば、この面白い人と、繋がれるか」の方を、何倍も、重要視してしまう。 そして、その「お宝」を手に入れるためなら、僕らの脳は、ためらうことなく、アクセルを全開にします。
これが、僕らが、多くの人が躊躇する「最初の一声」を、いとも簡単に、かけてしまえる、本当の理由です。
ADHDについて学ぶことで、僕は、はっきりと理解しました。 僕が、初対面の人に、気兼ねなく話しかけられたのは、僕の性格が、特別に社交的だったからではなかった。 それは、僕の脳が、「社会的リスク」という名の、見えない壁を、恐れることなく、乗り越えることができる仕様になっていたからなのです。
これは、僕にとって、大きな発見でした。 そして、これからは、この「才能」を、無意識に使うのではなく、意識的に、そして、戦略的に、使っていこうと思います。
多くの人が、完璧な地図を求め、その場に立ち尽くしている間に、 僕らは、コンパスも持たずに、荒野へと、最初の一歩を踏み出すことができる。
その、無謀で、しかし、この上なく活発な「行動力」こそが、 新しい出会いを、新しい物語を、そして、新しい世界を、創造するための、 僕らに与えられた、最高の「才能」なのですから。