
なぜ僕らは「人の痛み」に、誰より敏感なのか
【凸凹ADHD③】
「どうして、こんな簡単なことを見落としたんだろう…」
友達の新しい髪型に、全く気づかなかった。 会話の途中で、相手が何を話していたのか、完全に分からなくなってしまった。 頼まれていた買い物を、綺麗さっぱり、忘れてしまった。
周りの人たちは、呆れた顔で言う。「もっと、ちゃんと周りを見て」と。 そして、ADHDの僕ら自身も、心の底から、そう思うのです。 「なぜ、僕は、こんなにも注意力が散漫なんだろう」と。
その、無数の小さな「失敗」の記憶。
しかし、その一方で。 理不尽な状況に置かれた、見知らぬ誰かのために、自分のことのように、心が痛み、腹を立ててはいませんか?
一見、全く関係のない、この二つの姿。 「周りが見えていない、ダメな自分」と、「人の痛みに、誰よりも敏感な、優しい自分」。 もし、この二人が、同じ一つの「脳の特性」から生まれた、双子の兄弟だとしたら、どうでしょう?
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。 今日は、僕らの脳に隠された、この、驚くべき「コインの裏表」について、お話しします。
??僕らの脳の「ピント」は多くの人のそれとは違います。
ADHDの脳は、物事を捉える時の「ピント」の合わせ方が特殊な仕様になっています。 多くの人の脳が、全ての情報を、均一な解像度で捉えようとするのに対し、僕らの脳は、自分の心が「重要だ」と感じる情報に、全てのピントを合わせ、それ以外の情報を、大胆に「背景」としてぼかしてしまうのです。
僕らにとって、「興味のない事実」や「形式的な情報」は、まるで、ピントの合っていない、ぼやけた写真のように見えています。 脳が、それを「重要でないノイズ」だと判断し、注意のリソースを割かない。だから、そこに潜む、細かな変化や、頼まれごとを、いとも簡単に見落としてしまうのです。
しかし、その一方で。 「人の感情の機微」や、「物事の正しさ」といった、目には見えないけれど、本質的な情報は、僕らの脳には鮮明に映し出されます。 誰かが理不尽な目に遭っている時、僕らの脳は、その「不正義」という信号を、何よりも重要な情報として捉え、強い共感や、義憤を感じるのです。
これが、人の髪型には気づかないのに、その心の曇りには、誰よりも早く気づいたりする根本的な理由です。 僕らの脳は、「目に見える事実」よりも、「目に見えない本質」に、強くピントが合うようにできているのです。
先日、子供とプールで遊んだあとの更衣室での出来事です。 子供と一緒に裸でシャワーを浴びていると、ダウン症なのか、少し発達に特性のありそうな、大きな体の中学生か高校生ぐらいの子が入ってきました。彼は、僕に「おしっこしたい」と言いました。 僕は、ごく自然に、「ここはトイレじゃないな。トイレはあっちの部屋だよ!」と、彼に伝えました。彼はトイレの方に向かって行きました。
その数分後でした。 着替えていると、その彼が、幼稚園児くらいの女の子を連れた、別のお父さんに話しかけているのが見えました。 次の瞬間、そのお父さんは、明らかに恐怖を感じた様子で、叫んだのです。
「あっちに行け!!寄ってくるなよ!!気持ち悪いな!!」と。
その光景を見た瞬間、僕の心は、強く、痛みました。 もちろん、小さなお子さんを連れたお父さんの、恐怖心も理解できます。仕方のないことだったのかもしれない。 でも、それでも、僕の心の中では、もう一人の自分が、叫んでいました。 「もっと、ましな言い方があっただろう!」と。
その後、彼のお兄さんと思しき高校生か大学生ぐらいの人が先ほど大きな声を上げたお父さんに謝っていました。ダウン症の彼はしばらく、着替えるでもなく、立ちすくんでいました。その時の、いたたまれない気持ちが忘れられません。
「正義」に敏感に反応する傾向のあるADHDである僕の脳の「ピント」は、高い解像度であの状況にいる人達の「感情」に合っているのを感じました。
僕が、友達の新しい髪型や、頼まれた買い物を忘れてしまうのは、僕の注意力が散漫だからというわけではないのです。僕の脳が、その限られたリソースを、目の前の「事実」ではなく、その裏側にある「感情」や「正義」といった、目に見えないけれど、はるかに重要な情報をスキャンするために、常に使っていたからなのだ、と。
この強いの「共感性」と「正義感」こそが、僕を僕たらしめているかけがえのない「才能」でもあり、そしてあの憎らしいほどの「うっかりミス」と、深くそして愛おしく繋がっているのだということを、僕はADHDを学ぶことで知ることができました。
もう、僕らの「ケアレスミス」を、ただの「欠点」として、嘆くのはやめにしましょう。 それは、僕らの脳が、「どうでもいいこと(と脳が判断した事実)」よりも、「どうでもよくないこと(人の心や、正義)」に、その貴重なリソースを注いでいる、何よりの証拠なのです。
僕らの不器用なまでの「優しさ」は、僕らのうっかりミスと、深く、愛おしく、繋がっているのですから。
【凸凹ADHD】シリーズ
①あなたの「弱み」は、裏返せば「武器」になる。
②「先延ばし癖」という絶望が、最強の「集中力」に変わる瞬間
③なぜ僕らは「人の痛み」に、誰より敏感なのか
④「退屈な時間」に、1秒も耐えられない理由
⑤「時間」にルーズなのは、脳が「未来」を旅しているからかもしれない
⑥「三日坊主」という絶望が、「リーダーシップ」に変わる日
⑦なぜ僕らは「グループ会話」が苦手で、「1対1」が得意なのか
⑧なぜ僕らの部屋は片付かず、頭の中は新しいことで溢れているのか
⑨なぜ僕らは、絶望の数だけ「最強」になれるのか