
ADHDの禁酒と禁煙【ADHD離婚からの再生①】
「とりあえず、一杯だけ」 その一杯が、僕の脳の「もっと、もっと!」という欲求の引き金を引いてしまう。
離婚後、僕の自己肯定感は地の底にありました。 週末の夜、池袋の喧騒と、仲間たちとの酒盛りが、唯一、僕の心を支えてくれる時間でした。しかし、それは同時に、僕の心と体、そして貴重な時間を確実にすり減らしていく、終わりのない不毛なループでもありました。
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコです。 これは、僕が「普通」に飲むことを諦め、自分の弱さと向き合い、人生の主導権を取り戻した日の物語です。ADHDの特性が『弱点』から『人生を新しくするための武器』へと変わる、不思議な体験の始まりでもありました。
僕の脳の「ブレーキ」は、アルコールに弱い
ADHDの特性の一つに「衝動性」があります。僕の場合、それはアルコールの前で、最も牙を剥きました。
一杯目のビールは、最高の多幸感をもたらしてくれます。脳内にドーパミンが溢れ、日々のストレスや将来への不安が、心地よく麻痺していく。 問題は、その一杯が、僕の脳のブレーキを壊してしまうことでした。理性では「もうやめるべきだ」と分かっているのに、その場の楽しさ、目の前の快楽という「短期的な報酬」に、抗うことができない。
これは、ADHDの実行機能の弱さ、つまり、長期的な目標のために短期的な衝動をコントロールする力の弱さと、深く関連していました。 気づけば朝までマイクを握りしめ、翌日は使い物にならない。そんな不毛なループの中で、僕は確実に消耗していました。
「節酒」の失敗と、「禁酒」への決意
転機は、突然の入院でした。身体が、強制的に僕の日常をストップさせたのです。これを機に、僕はまずタバコをきっぱりとやめました。医者にニコチンパッチを処方してもらい、過去に何度も禁煙を失敗してきた僕なので恐る恐るでしたが、命には代えられないとなんとか禁煙に成功しました。
問題は、お酒でした。当初、僕が目指していたのは「禁酒」ではなく、「節酒」でした。「これからは、付き合いで飲むだけにしよう」と。
しかし、すぐに気づいたのです。僕にとって、その「付き合いの一杯」が、最も危険なトリガーなのだと。一口飲んでしまえば、衝動のタガが外れてしまう。僕にとって、「飲まない」という選択肢は比較的簡単でも、「一杯だけでやめる」という選択肢は、限りなく不可能に近いのだと痛感しました。
そして、ある日。ついに、そのタガが完全に外れ、自分がどれだけ飲んだか覚えていない、という経験をしました。 翌朝、断片的な記憶と、体中に残るダメージの中で、僕は本当の恐怖を感じました。 「これはもう、自分の意志でコントロールできる領域ではない」と。
ちょうどそのタイミングで、医者である友人から「デコさんは、もう完全にやめた方がいい」と、真剣なアドバイスを受けたことも、僕の覚悟を決定的なものにしました。
「禁酒」の決意と、新たな「不安」
一つの不安として、僕はお酒を飲まずに飲みの場を楽しめるのだろうかと言う点でした。 シラフの僕だけが、その輪から取り残されたように、つまらなく感じてしまうのではないか。僕は、友人たちに「俺、お酒やめたんだ」と、事実として伝えました。 そして、ある日、ウーロン茶を片手に、いつもの飲み会に参加してみたのです。
結果は、意外なものでした。 僕は、以前と変わらず、仲間との会話を心から楽しんでいました。 その時、はっきりと気づいたのです。「僕はお酒が飲みたかったんじゃなく、ただ、この仲間たちと話がしたかったんだ」と。
もちろん、その後、お酒が主な目的だった集まりからは、自然と足が遠のいていきました。結果として、いくつかの繋がりは形を変えましたが、それは「失った」というより、僕の人生のステージが、次の段階へ進んだ証だったのだと思います。
その代わりに、僕は、それ以上に大切なものを手に入れました。
一つは、「人生の時間」です。消耗するだけだった週末の夜は、ヨガで心身をととのえる穏やかな時間に変わりました。二日酔いで潰れていた土曜の朝は、友人と皇居を走る、清々しい時間になりました。時間の「質」が、全く異なるものになったのです。
また、もう一つは、「自信」です。「やめられた」という成功体験は、アルコールに支配されていた自分からの脱却であり、人生の主導権を取り戻したという、確かな自信になりました。 そして、新しい「繋がり」です。酒の席ではなく、ヨガやランニングといった、健康的な場所で出会う人々との、新しい関係性でした。
再生への第一歩は、できない自分と戦うのをやめることでした。 自分の衝動性、自分の弱さを認め、それが暴走してしまう「土俵」から、自ら降りる勇気を持つこと。 過去の楽しみ方を手放すことを恐れず、新しい自分になる覚悟を決めること。
ADHDの特性である「衝動性」と「依存性」は、私たちを悪い習慣の沼に沈めることがあります。私自身、お酒とタバコという二つの依存から抜け出すのに、長い時間を要しました。しかし、その一方で、ADHDの人間は「新規追求性」という、もう一つの顔を持っています。 これは、新しいことへの、極めて高いモチベーションを意味します。
この二つの特性を並べてみると、ある驚くべき可能性が見えてきます。
それは、「過去への執着が薄く、未来への興味が強い」という、ADHDならではの、生き方のスタイルです。
多くの人が、過去の習慣や人間関係を断ち切れずに苦しむ中、私たちADHDの人間は、過去の悪しき習慣から、新しい自分という「興味」へと、比較的スムーズに移行できるポテンシャルを持っています。
依存しやすい衝動性は、決別を決めた時の「断ち切る力」にもなり得るのです。 新しいもの好きは、新しい自分を創造する「新しく始める力」になります。
そう、ADHDであることは、新しい自分に生まれ変わる上で、実は大きなアドバンテージなのです。
過去の習慣を手放すことを恐れないでください。 あなたの脳に搭載された、強力な人生を新しくするためのボタン。 それを押した先には、あなたが想像もしなかった、新しい朝が待っているのかもしれません。
【ADHD離婚からの再生】シリーズの最初の記事はこちら
【ADHD離婚からの再生】シリーズ
①ADHDの禁酒と禁煙
②禁酒後の新しい世界
③「動」と「静」で脳を整える
④運動は「最高の処方箋」
⑤習慣化できますか?
⑥「失敗だらけの過去」の意味