
なぜ僕らは、絶望の数だけ「最強」になれるのか
【凸凹ADHD⑨】
「また、同じミスをして…」
「どうして、あなたは、いつもそうなの?」
ADHDの特性を持つ僕らは、子供の頃から、数え切れないほどの「注意」と「叱責」の中で生きてきました。 そして、いつしか、僕ら自身も、自分にこう言い聞かせるようになります。 「僕の、この部分は、ダメなところだ」 「この欠点さえなければ、僕の人生は、もっとマシだったのに」と。
しかし、もし長年、自分の弱みだと信じてきたものが、見方を変えれば、他の誰も持っていない、かけがえのない才能だとしたらどうでしょう?
はじめまして、「凸凹ADHD」のデコさんです。 今日は、僕らを最も深く苦しめる、この「自己肯定感の低さ」という名の絶望と、その絶望の果てに、僕らだけが手にすることができる、特別な力について、お話しします。
多くのADHD当事者が、幼い頃からの度重なる失敗や叱責によって、自己肯定感を深く傷つけられてしまいます。 しかし、僕の場合は、少しだけ違いました。
僕の父もまた、ADHDの特性を持っていました。父は、僕の忘れっぽさや、計画性のなさを、一度も厳しく咎めませんでした。おおざっぱな性格で、僕の細かい失敗やミスについては、全く気にしていませんでした。 そして、母は、そんな僕の「凸凹」を、その深い愛情で、いつもそっとカバーしてくれていました。さらに父の「凸凹」もカバーしてくれていました。
小学3年生の時、僕はそろばんで県で一番になりました。たくさんの人から、すごいと言われそれは僕の大きな自信になりました。 それだけではありませんが、子供の頃に築かれた「根本的な自己肯定感」は、僕の人生の非常に重要な「土台」となったのです。
しかし、社会に出てから、僕の人生は一変します。 数え切れないほどのミスと、遅刻や生活態度の指摘。僕の自己肯定感は、そこで大きく揺らぎました。
僕は、これまで、数え切れないほどの失敗をしてきました。ただそれは挑戦してきた数とも捉えることができます。英語がろくに話せないまま、海外に留学しました。授業でのプレゼンでは、英語が理解できないと、笑われたことも、一度や二度ではありません。起業した時には、お金が底を尽きたことも幾度となくあり金銭的につらい思いもしました。 離婚時には、家族だけでなく、貯金はマイナスになり、借金を背負い、さらに、家具から何から全てを失いました。
離婚時に持っているものを全て失って、僕は信頼する友人の家に居候となるのですが、深く落ち込んだあとに出てきた気持ちは。
一度、全てを失ってしまえば、別に大したことでも無いなと思いました。
失う前はとても失うことが怖かったんです。
失った瞬間は、奪われたことにものすごく腹が立ちました。
でも、しばらくして全てを失って、なんだかスッキリした気持ちにもなりました。
全てを断捨離したというか、とても身軽に感じました。
どん底でも、人は生きていけるし、人は笑えるのだと知りました。
僕を取り巻く世界は思ったほど変わらないのだと。
そんな経験を通して、僕の心から「失うことへの恐怖」は、少しずつ消えていきました。もともと小さかった物欲もさらに小さくなっていきました。新しい結婚生活のためにいろんな物を買って、それを一瞬にして失いました。物なんてあってもそれが僕を少しも幸せにしなかったなと、失うことで思い知らされました。
たくさんの失敗と絶望を経験してきたからこそ、手に入れることができたんだと思います。 ちょっとやそっとのことでは、もう動じない。 そんな、しなやかで、タフなメンタルを。
もう、ADHDの僕らが自分の「自己肯定感の低さ」をただの「弱さ」として、嘆くのはやめにしましょう。 それは、僕らが、これまでの人生で、誰よりも多くの「痛み」と「絶望」を、乗り越えてきた、勇敢な「戦士の証」なのです。
【凸凹ADHD】シリーズ
①あなたの「弱み」は、裏返せば「武器」になる。
②「先延ばし癖」という絶望が、最強の「集中力」に変わる瞬間
③なぜ僕らは「人の痛み」に、誰より敏感なのか
④「退屈な時間」に、1秒も耐えられない理由
⑤「時間」にルーズなのは、脳が「未来」を旅しているからかもしれない
⑥「三日坊主」という絶望が、「リーダーシップ」に変わる日
⑦なぜ僕らは「グループ会話」が苦手で、「1対1」が得意なのか
⑧なぜ僕らの部屋は片付かず、頭の中は新しいことで溢れているのか
⑨なぜ僕らは、絶望の数だけ「最強」になれるのか